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新潟地方裁判所長岡支部 昭和58年(ワ)84号 判決 1986年7月17日

原告 甲野太郎

<ほか二名>

右原告ら訴訟代理人弁護士 寺尾正二

被告 甲野一郎

<ほか三名>

右被告ら訴訟代理人弁護士 神山博之

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  別紙遺言状記載の遺言は、無効であることを確認する。

2  訴訟費用は、被告らの負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告らは、原告らに対し、請求の趣旨1記載の遺言(以下「本件遺言」という。)は有効であると主張している。

2  しかし、本件遺言は、次の事由により無効である。

(一) 本件遺言状は、遺言者本人が記載したものではないので無効である。

(二) 本件遺言者には、遺言意思がなかったので無効である。

(三) 本件遺言状には、氏名の後に遺言者の印が押されていないので無効である。

仮にそのしみのようなものが遺言者の指印であったとしても、指印は、民法九六八条一項の印に当たらないので無効である。

(四) 本件遺言状の第四項に「家の前の」という付加部分があるのに民法九六八条二項の手続をとっていないので無効である。

(五) 本件遺言状の第二項は、相続人の権利を被相続人が代わって放棄するものであるので無効である。

(六) 本件遺言状の第四項は、「一郎に無償譲渡すること」となっているので無効である。

(七) 本件遺言は、長子のみに全財産を与えようとするものであるので、民法九〇条により無効である。

よって、請求の趣旨のとおりの無効確認を求める。

二  請求原因に対する認否

全部否認する。

三  被告らの主張

本件遺言状は、甲野が、その意思に基づいて作成したものであり、また、遺言状の甲野名下の拇印は、甲野がなしたものであり、拇印があれば、押印がなくても有効であるから、本件遺言は有効である。

四  被告らの主張に対する認否

否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。

1  本件遺言状の様式及び内容は、別紙遺言状記載のとおりであり、毛筆で記載されている。

2  本件遺言者とされている甲野松太郎(以下「甲野」という。)を中心とした相続関係は、別紙相続関係一覧表記載のとおりである。

3  甲野は、昭和一三年一二月三〇日に原告ハナと婚姻し、その後間もない昭和一五年一一月一〇日に、原告ハナからせがまれて、本件遺言状記載の一三四五と一三四七の各土地を同原告に贈与し、その旨の登記も経由したものの、甲野としては、後妻である原告ハナに右土地をやるのは、土地がよそに出てしまうことになるとの考えから、その本意に添わず、これを取り返したいと考えていたが、結局、遺言により取り返すこととし、そのような遺言を原告ハナのいる新潟の甲野の自宅で書くのはまずいと考え、上京のうえ、子供の家で書くこととした。

4  そこで、甲野は、昭和四三年三月二〇日に、新潟県《番地省略》の五郎という中学校の卒業生の就職のため、同人を連れて上京した折を捉え、東京で文房具店を構えている二男二郎のところで遺言状を書くこととし、右上京した二日後の二二日に、同人の妻桜子に対し、「新潟の実家の私方は、家庭が複雑で、私が死ぬと大変なことが起こるかも知れない。私がこれを書いて置かなくてはならない。」という趣旨のことをいって、封筒、紙、硯及び筆を準備してくれるように頼んだので、同人は、その当時の状況から判断して、甲野が遺言状を書くために必要としているものであることを察知してこれらの物を準備し、甲野が右のように上京して寝泊まりしていた二郎方二階の客間で甲野にこれらの物を渡したところ、同人は、同室で一人で書き、右封筒の表書に「遺言状」、裏書に「甲野松太郎」と各記載して封をした。

5  そして、甲野は、東京の二郎方で書いた遺言状であるから、同人に保管させておくのが手っとり早いし、原告ハナにとって不都合なことが書いてあるので、跡継ぎとされている被告一郎ではあっても、同被告にこれを預けると、同被告と同居していた原告ハナに見られるおそれがあるからまずいと思い、結局、二郎に預けておくのが無難であると考えて、その封筒を二郎に渡し、同人は、これを自宅応接間押入の金庫の中に入れて保管し、妻の桜子には、遺言状を金庫に保管してある旨伝えておいた。

6  その後の昭和五一年三月一四日に甲野が死亡し、その後の昭和五一年五月二八日に二郎が死亡したのであるが、桜子は、やはり、この遺言状は、被告一郎に渡しておいた方がよいと考え、二郎の葬式の日(昭和五一年五月三〇日)に、その葬式が終った直後、自宅で、被告一郎に対し、封がされているままの状態で渡した。

7  そこで、被告一郎は、検認手続きのことを知らないまま、その場で封を切り、中味を読んでから、これを被告松子に渡したところ、同人もこれを読んでいた。

8  なお、《証拠省略》によれば、同被告は、この渡した日について、当初、甲野が死亡した昭和五一年三月一四日に、その死亡場所の新潟県の小千谷病院で桜子から渡してもらった旨主張していたが、その後いろいろ話しているうちに、被告松子から、それは被告一郎の記憶違いである旨いわれ、被告一郎自身自らの記憶違いに気付き、右二郎の葬式の日(昭和五一年五月三〇日)に渡してもらった旨訂正していることが認められ、右二名の者の死亡が接近していること、遺言状の引渡しを受けた日から年月が経ってからの供述であること及び《証拠省略》を総合して考えると、被告一郎は、右訂正された昭和五一年五月三〇日に引渡しを受けたものと考えるのが正当である。

9  その後、被告一郎は、自分が長男であり、家督相続をする立場にあるので、自分が保管するのが一番妥当と考え、以後本件で問題になるまで、本件遺言状を誰にも見せずに保管していた。

10  本件遺言状作成日付当時(昭和四三年三月二二日)の甲野の健康状態は、同人が明治二〇年一二月三一日生まれのため、八〇歳を超える高齢ではあったが、なお、新潟から一人で上京し、子供達を訪ねることができる程達者であり、かつ、学校の教員をし、校長までやったこともあることからして、知的にも問題はなかった。

11  また、本件遺言状の筆跡は、本件遺言状を入れていた封筒の表書及び裏書の文字、甲野が同人の三男三郎に出した手紙の封筒の表書及び裏書の文字、甲野が同人の家で小作している土地や自作している土地の保管状況を書いた一覧表の文字の各筆跡とことごとく一致している。

二  以上の事実によれば、

1  甲野は、原告ハナに本件遺言状記載の一三四五及び一三四七の各土地を贈与したものの、前記一3の理由から、家を継ぐ被告一郎に財産を集中させたいという希望を持ち、これを遺言により実現しようと考えていたのであって、甲野には、本件遺言をする強い動機があった、

2  別紙遺言状記載のとおり、本件遺言は、甲野の右動機に添った内容となっている、

3  甲野が、上京のうえ、二男二郎の家で書くこととなったいきさつやその保管者が二郎を経て被告一郎になったいきさつには、それなりの理由があって不自然なところはない、

4  甲野には、本件遺言当時、その遺言能力を疑わせるような形跡がなかった

ことが認められる。

そして、以上の事実に本件遺言状の筆跡が、甲野が書いた他の文書の筆跡と同一である点を併せ考えると、請求原因2(一)及び(二)の各主張は、失当であり、本件遺言は、甲野が、その遺言意思の下に自ら作成したものと認められる。

三  請求原因2(三)について

《証拠省略》と前記認定の事実特に一の3及び4の各事実に弁論の全趣旨を総合すれば、本件遺言状の甲野松太郎という署名の下に同人の手の指の指紋が押されていることが認められる。

右が、甲野の拇印つまり親指によるものか否かは判然としないが、甲野の左右いずれかの手の指を押したものであることは間違いない。

そこで、両手の一〇本の指のいずれであるかを限定しないものをとりあえず「指印」と呼ぶこととする。なお、指印という言葉は、刑事訴訟規則六一条一項にも現われている。

さて、本件遺言は、その遺言状の形態からみて、自筆証書遺言とみるべきであるところ、同遺言においては、「印をおさなければならない。」(民法九六八条一項)とされている。つまり、押印を要件としているのである。

ところで、本件遺言状には、他に印顆(印形)(これは指印ではない)が押された形跡がない。

そこで、指印が、果して押印の要件を満たしているのか否かについて判断する。

もし、指印も印には違いないのであるから、指印を押すことも押印といってよいというのであれば、本件遺言状は、押印の要件を満たしていることになる。

しかし、押印は、通常の国語の用法に従えば、印顆を押すこととされているから、その限りにおいては、本件遺言状は、押印の要件を満たしていないといわざるをえない。

しかし、そもそも、押印を必要とする理由は、当該遺言書が、その遺言者とされている者の意思に基づいて書かれたものか否かを確認するための手段とするところにある。

これは、遺言書の氏名の「自書」が、遺言者の同一性と遺言意思の確認の手段とされているのと同様の機能を持つものであるが、押印においては、我が国の押印の習慣に従って、遺言者の真意に基づく遺言書であることを「更に担保」するための手段と解される。

「氏名の自書」が前提とされての押印、つまり、署名の前に押印はないとされていると考えられるところからすると、押印は、真意の確認手段としては、第二次的であるから、「更に」担保するにとどまる。実社会において、署名で足り、押印を不要とする場合が増えているのはそのためであろう。

しかも、押印を第一次的なものとし、これのみで足りるとしたのでは、遺言書の作成名義人さえ分からなくなることがありうる。

立法論として、遺言書は、署名のみで足り、押印は不要とする意見はあっても、その逆の意見がないのは、この面からみてもうなずける。

押印の以上のような地位に鑑みると、遺言者の同一性と真意確保のために要求されている押印と同等程度の価値のあるものであれば、本来の意味の押印がなくても自筆証書遺言の方式を満たすものと考えるべきであり、真意確保のための過ぎたる方式の厳格性の故に、遺言の自由を侵すことがあってはならないのである。

ところで、印の意味については、通常の国語の用法に従えば、文字などを木製、金属製、象牙製などの物体に彫刻して、その者のしるしとし、書面などに押すもの(または押したもの)であって、「印形」「印顆」「印章」「印判」「判」などといわれているのであるから、この印は、実印はもちろん、認印や三文判でさえよいことになり、遺言書においても、三文判は無効であるなどとはされないはずである。

しかるときには、拇印(親指による印)は、古くから印顆を押すことに代わるものとして用いられてきており、文書作成者の同一性とその真意確保のために役立ってきたことは周知の事実であるばかりでなく、有り合わせの三文判などよりも社会的信用性があり、作成者個人その者のものである点からみれば、実印でさえ到底及ばない同一性識別機能を持っており、押印と同等程度の価値のあるものとみることができる。念のためにいえば、拇印よりも有り合わせの三文判の方が優れているという人は、おそらくいないであろう。

従って、従来、死亡危急者の遺言の場合について、口授を受けた証人が印顆を携帯しなかったときには、その者の拇印を以て捺印に代えることができる旨判例で認められてきたのを拡張して、総ての遺言について、押印は拇印で足りると解すべきである。

そして、拇印についてそのように考えることができるならば、親指以外の指(通常は手の指を指すであろうが、両手の無い身障者については、足の指を含めてよいであろう)の印についても、これを以て押印に代えることができるものと解すべきである。

けだし、たまたま親指が無かったり、怪我をしているなどの事情により、親指で押すことができないこともあるであろうし、また、指には違いないということで、親指以外の指を押してしまうこともあるであろう。このような場各、親指ならよいがそれ以外は駄目であるとする合理的理由が見出せないのである。

伝統的に拇印を重視していることは分かるが、例えば、人権に重大な関連性のある捜査書類についても、これに私人が指印する場合には、左手の示指(人差指)ですることになっているなど、かなり重要な部分において、親指以外の指が用いられているのである。

要するに、前記指印の定義付けのところで述べた「指印」を以て押印に代えることができるというべきなのである。

そうすると、請求原因2(三)の主張は理由がなく、本件遺言状は、押印の要件を満たしていることになる。

四  請求原因2(四)について

《証拠省略》によれば、原告ら主張のように、本件遺言状の第四番目の項に「家の前の」と付加されているが、この部分について、民法九六八条二項所定の手続がとられていないことが認められる。

そうすると、その部分の変更は無効であって、変更がないものとして取扱われることになる。

しかし、その付加されたという部分のところでは、「石橋一、三四五と一、三四七番地は一郎に無償譲渡すること」となっているのであり、「家の前の」と付加されなくても、その土地の特定は十分可能なのであって、「家の前の」という文字は、特定のための意味を持たないのであるから、これを無効としたところで、少しも変わらないのである。

そうすると、原告らの右主張は利益のない主張として、主張自体失当というべきである。

五  請求原因2(五)について

原告らは、本件遺言状の第二番目の項は、相続人の権利を被相続人が代わって放棄するものであるので無効である旨主張するが、その部分は、「ハナ並に子供は権利を放棄すること」となっているのであるから、甲野は、相続人らに対し、同人らの権利を放棄せよと要求しているのであって、原告ら主張のように、甲野自身が、相続人に代わって同人らの権利を放棄したものではない。

ところで、遺言の範囲つまり遺言でできる事項(とりあえずこれを「遺言事項」と呼ぶこととする。)は法定されていて、それ以外の事項を記載しても、遺言としての効力を生じない。

むしろ、遺言事項以外の事柄は、例え記載しても、効力を論じるまでもなく、遺言の成立がなく、その事柄からは、現在のいかなる法律関係にも影響を与えないのである。

もしその事柄が、遺言事項に該当する可能性があり、遺言が有効であるとすれば、それから生ずべき現在の特定の法律関係に影響を与えるというのであれば、確認の利益があるといえるが、初めから遺言事項以外の事柄を問題にしたのでは、その仮定的な有効性すら論じる余地がないのであって、いわば、常に無効なのであるから、改めて無効と宣言するのは意味がない。

そのような場合は、遺言書のその記載部分を無視して行動すればよいのである。

そして、もしそれがもとで争いが絶えないのであれば、遺言無効ではなく、現在の法律関係の存否の確認を求めればよいのである。

本件遺言状の第二番目の項に書かれている事柄は、正に遺言事項以外の事柄である。

これを原告ら主張のように捉えようと、当裁判所の認定のように捉えようと、遺言事項以外の事柄であることに変わりはないのであって、原告らは、いわば、主張自体において、遺言事項以外の事柄を問題としているのである。

そうすると、当該部分については、訴えの利益無しとして、訴えを却下することも考えられる。

しかし、《証拠省略》及び以上で認定した事実並びに弁論の全趣旨を総合すれば、本件遺言は、要するに、被告一郎を家の後継者とするため、財産を同人に集中させ、併せて後妻である原告ハナも安泰に暮らせるよう、被告一郎において、ハナの扶養を生涯にわたって行うべき旨を定めたものであって、第二番目の項において、ハナや子供に対しては、その権利を放棄するように求めたり、第四番目の項において、ハナに対しては、既に与えてあった一三四五と一三四七番地の土地を一郎に無償で譲渡するように求めているのであって、これらの要求は、いずれも被告一郎を後継者とするための財産集中の意を強調するために記載したものと認めるのが相当である。

そうすると、第二番目の項の権利放棄要求の記載を以て右で述べた本件遺言の根本趣旨の外に、独立した遺言として取り上げるべき事柄ではないものと考えるのが相当であるから、これを別個の訴訟物とみて、この部分について、主文で訴えを却下するのは相当でない。

以上を要するに、本項に関する原告らの右主張は、無意味な主張として、主張自体失当というべきである。

六  請求原因2(六)について

《証拠省略》及び前記一の3で認定した事実を総合すれば、本件遺言状の第四番目の項において、同記載の各土地は、甲野が生前に原告ハナに贈与してあったものであるところ、本件遺言の前記趣旨から、甲野が、原告ハナに対し、同土地を被告一郎に無償で譲渡するように要求しているものと認められ、原告らが、請求原因2(六)で主張している趣旨も同様のものと考えられる。

しかし、これについても、右五で述べたとおり、主張自体遺言事項に該当しないうえ、独立した遺言として取り上げるべき事柄でないことも、そこで述べたとおりであって、この部分についても、主文で訴えを却下するのは相当でない。

以上を要するに、本項に関する原告らの右主張もまた無意味な主張として、主張自体失当というべきである。

七  請求原因2(七)について

原告らが主張するとおり、本件遺言が、長子のみに全財産を与えようとするものであることは、以上の事実から明らかである。

ところで、民法九六四条但書によれば、財産処分は、遺留分に関する規定に違反することができないとされている。

そうすると、本件遺言が、この但書に触れることは明らかである。

しかし、民法は、一方において、遺留分減殺の制度(同法一〇三一条以下)を設けているのであるから、遺言の自由を尊重する上からも、本件遺言における遺贈が遺留分を侵害していても、有効な遺贈とみるべきであり、遺留分権利者が減殺請求権を行使することによって初めて遺留分侵害部分のみが失効するものと解するのが相当である。

従って、原告らのこの点に関する右主張もまた失当である。

八  以上のとおり、本件遺言に関する原告らの主張は失当であるが、被告らの主張は正当であるから、遺言事項に入るべき本件遺言状の第一番目の項に記載されている、甲野の財産を全部被告一郎に遺贈する趣旨の遺言は有効というべきである。

九  結論

よって、本訴請求は、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 大島哲雄)

<以下省略>

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